シン・エヴァンゲリオン見てきたよ


シン・エヴァンゲリオンを見てきたので、アニメ感想文を書きます。ネガティブな意見からまず先に。

旧作の狂気は、全部はなかったよ。でもこれは言いがかり。旧作は、今にして思えば当時はパソコン通信だった、コンピューターネットワークのバズりを庵野監督が真正面から受け止めて、暴走状態で書いた奇っ怪作だもの。

2021年の俺は、コンピューターネットワークでバズるとドナルド・トランプが大統領になってヒラリー・クリントンが大統領にならないのを知っているけれども、1995年の当時、コンピューターのフォーラムのSYSOPやってるって言ってたO野君が、「エヴァのTV放送が終わった後、ニフティーサーブのハードディスクが溢れてサービス止まったんだよ(笑) あれエヴァのせいだな(笑)」って言ったの、俺は「ふーん」と流した。

モチーフにバイオサイエンスを用いていますが、「新世紀」の名の通り、「コンピューターネットワークの体現」もしてましたねエヴァンゲリオン。

以前どっかで書いたような気がしますし、知り合いには、「エヴァンゲリオンのリメイクって分のない話でさ、とっちらかったら『まーた庵野がやらかしやがった。アイツエンタメ分かってネエから、カラー行ってシメてこい』っつって皆居酒屋で生中ぐいっと飲むし、まとまったら、『旧作の狂気がなくなって、これではウェルメイドな一平凡作と評価せざるを得ませんね。今にして思えば旧作は1990年代と言う時代の狂気が作り出した…』って言われるんだからさ(笑)」と言っています。

後、綾波の頭がぱひょってなるシーン、こわかったですね。綾波は、シンジ君が立ち直るため、またストーリー上の展開で使い捨てられてる。ただ、これも「綾波レイ」を表してはいる。綾波使い捨て問題について、色々語れますね。ちゃんとシンエヴァも問題提起してます。

傷ついたシンジ君の代わりに情感に触れ、シンジ君が立ち直る時に芝居から退場する綾波レイ。これを表層的に凋落したマッチョニズムだと評するか、シンジ君はレイに負い目があると評するか、もっと深く潜れる人もいるでしょう。各論にお任せします。

性の商品化、女性らしさって女性に押し付けられている、男性は男性だと言うだけで女性を傷つけてるんだ、とつらつら書けますが、同時に、男性は女性を大切にも出来ます。

男性性の原罪を表意した綾波レイというキャラクターが…と書くともうこれだけで一本なので、皆頑張って書け(笑) 俺はギスギスした話をこれ以上書けない(笑)

また、悪く言っちゃえば女性、特に旧作組が皆シンジ君に甘い。まあ言いがかりっちゃ言いがかり。それで別途評論が書ける人は書けますが、まあ好きにしてよ(笑)

さてポジティブな意見を。居酒屋状態で上から目線でさあ、庵野さん大人になったなー(笑) と。

「人類補完計画」とはどんな設定か、をまあつらつらとお腹いっぱいに説明してくれて、話先取りになるけれど「1996年の第一クールにこれ観せろや!(笑)」と思った人は居たかどうか。

とにかく、人類補完計画とはどんなんだったか、しっかりまとめて、その上設定倒れにならずストーリーともからめて進めてね。ほんとに楽しい視聴だった。

その上、ストーリーに恋愛要素も盛り込んで! 碇ゲンドウが人類補完計画を進めたのはなくした妻ユイに会いたかったからだと。んで、元部下の葛城ミサトがゲンドウに反旗を翻したのは、人類補完計画進行中三段階目の災厄を身を呈して防いだ恋人の加持リョウジの敵を討つためだったと。

恋愛要素を軸に映画を視聴される方世の中沢山いらっしゃいますので、そういう視聴者様向けにも、見られる映画になっておりました。

んで、ミサトさん達のヴィレの戦艦が南極に乗り込む時のプロレス実況芝居! 戦艦モノで役者さんが戦況の現状を説明ゼリフのカタマリでベラベラまくし立てるのはもうエヴァの十八番なんですが突き詰めるだけ突き詰めて。

で、俺が語りたいのは、このプロレス実況芝居のキメのキメで三石琴乃さんが何度も大見え切るのね。庵野さん、「三石さん、ここお願いします」って役者さん信頼して振ってるの。庵野さん他人を信用できるようになったんだなー(笑)と。

で、その次に宮村さんの残酷芝居。ええ、未だに旧作の磯光雄さんパートの後、劇場の空気が重かったの思い出せるんだわいな。

式波・アスカ・ラングレーが大立ち回りで残酷芝居をしてですね、それでさらに話が続いて、シンジ君とゲンドウの対話になりました。

で、立木さんのアートモノローグの次、山寺さんと石田さんがナンかキザなやり取りするのね(笑) いいんだよ(笑) 話くしゃくしゃになってとっちらかり気味になっても、石田と山寺がナンかキザな事言えばまとまるんだよ(笑)

と、役者さんの演技も十分堪能できる映画に。

シンジ君とゲンドウの対話の時、「これは仮想空間でのやり取りだ」ってシーンになるんですね。で、そこで1995年第四クールの初号機発進のシーンをCGIでもう一度やるんですが、このCGIが、ショボいの!(笑)

「仮想空間ですので画面がショボいです」をやってるのね。ポストプロダクション入れないとCGIってこんなにショボいんだなー、と感心。いや面白いわ。

作画はですね、そんなに気にしてなかった。ストーリーを追いかけるのに夢中だったから、どれが誰パートとか、いちいち考えてなかった。

破を見た時、「食べる」の扱いが旧作と変わってるね、と書きましたが、まあシンでは重要なモチーフに。

立木さんのアート的モノローグは、旧作の前衛的なのが好きだった方はフックするのではないでしょうか。そんな旧作ファンにもアプローチするアートシーン。

ラスト目で原画やコンテになるシーンでは、海が「90年代アニメ海」でした。綾波がカブだか大根だかを貰うシーンで、水は作画とCGIのハイブリッドで書いていて、今どきは水はCGで書けちゃうので、「敢えて作画海」。まあ、「けじめをつけたい」のは、ナディアのけじめも、つけたかったのかも知れません。

最後、マリが「行きましょう!」ってシンジ君の手を取って、手のアップになるでしょう。多分銀河鉄道999の劇場版からだと思うんですが、手をつなぐアップ、日本アニメーションには本当に多いので、最後の最後でベタもベタで正面切って押し切りました。

なんでシン・エヴァンゲリオン見てさあ、SF設定は纏めてる、作画もウェルメイド、コンテはまあ相変わらずの庵野演出でもう目が慣れちゃった、役者さんの芝居も堪能出来て、旧作めいたアートシーンもあって、CGIはもうぱりぱり、最後はどべんとベタで押して、いやもう文句ないでしょ俺? って。

はい。文章を締めます。25年前、居酒屋で「庵野ケンカ売ってんのか? お前ガイナックス行って庵野シメてこい」っつって生中ぐいっと飲んだお前ら、25年経ってどんな大人になった?

上手く行った奴、上手く行かなかった奴、いるだろうけれど、25年経って2021年、世界がこんなになるとは俺は全く思っていなかったし、それぞれ個人個人あっただろうけれど、25年経って2021年の現在、「新世紀エヴァンゲリオン」は纏まった作品として、リメイクの最終話が劇場で公開されたよ。

(2021/04/01初出)


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